協会の歴史
日本ホッケーの始まり
慶応夏合宿(明治41年7月11日〜24日、沼津中学校グラウンド)。二列目中央がグレー氏 写真提供「アサヒスポーツ」
1906年(明治39年)に、英国人ウィリアム・T・グレーが慶応義塾に教えた日をもって 日本のホッケーの正式な始まりとしています。
グレーによる慶応義塾ホッケー部誕生
創設趣意書の発表1906年(明治39年)1月初旬、慶応義塾教員・小倉和市の名により義塾内にホッケー倶楽部創設の趣意書が発表されました。11月中旬、義塾新講堂に於いて、前ダブリン大学ホッケー選手聖アンドリウス教会牧師 グレーが有志にホッケーの説明を行っています。
発会式
大日本ホッケー協会の発会式は陸軍戸山学校校庭において、慶応義塾大学、早稲田大学、明治大学、東京クラブ、陸軍戸山学校が参加して行われた
(大正12年11月18日) 「日本ホッケー九十年史」より引用
11月23日午後3時より、芝公園グランドにおいて、グレー自らスティックを取ってゲームの方法を教え、終了後、義塾倶楽部の食堂において発会式が催されました。 参加者は100名。11月26日より日比谷公園芝生グランドで練習を開始しています。
大日本ホッケー協会創立− 1923年(大正12年)
大正11年に慶応義塾ホッケー部の紹介により、陸軍戸山学校にホッケーが導入され、慶応と相たずさえて全国的な普及にのりだすことになりました。そのためには中心となるべき協会の組織を作るべきであるという意見が強くなり、1923年4月15日に戸山学校将校集会所で大日本ホッケー協会創立に関する第1回目の打ち合わせが開かれました。数回の創立委員会を経て、11月18日協会が正式に発足しました。
社団法人 日本ホッケー協会に - 1980年(昭和55年)
東京オリンピックを契機として、当時の協会会長であった稲山嘉寛のもとに組織の基盤をつくりました。その後、後任の大橋冨士夫は、当時任意団体であった協会の法人化に取組み、1980年(昭和55年)9月20日に社団法人 日本ホッケー協会となりました。